夏休みの始めからクラゲを飼いはじめたのですが、夏休みの終わりとともに生活の在りかは自分とクラゲの部屋の外へと移って、この生き物を生かすために十分な施しをすることができなくなってきており きっともうすぐこのひとは死ぬでしょう。これはこの種類のクラゲのそれなりの飼い方にそれなりの寿命というだけの話なのですが。
こういった風に寿命で死ぬクラゲというものは、少しずつ縮んでいって「消える」そうです。生きていることと在ること、死ぬことと消えることが同じであるというのはなんとうつくしい命のようすだろうとひとごとのように感動する部分もあるのですが、少々愛着を持ちすぎたこの生き物の死ぬことと無くなることの間になにか隔たりのないことはあまりに寂しくおそろしい。
死体の残るようにこの手で殺すべきなのではないかなどと鳥肌を立てながら考えたりもするのですがクラゲの安楽死の方法なんてどこにも書いてありません。秋になってしまいました。